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2016/08/27

プラトンの「三つの比喩」(洞窟の比喩)

 さて、今回の「洞窟の比喩」(「善のイデアの観取」)というのは、プラトンの「三つの比喩」(それは「太陽の比喩」と「線分の比喩」それに「洞窟の比喩」)という、この「三つの比喩」の、まさに「最後の項目」であり、例えば、プラトンの「教育プログラム」では、まず、「……算数、平面幾何学、立体幾何学、天文学(天体力学)、音楽理論、その他」などを本格的に学ぶことによって、その「魂の眼」を上の方へと十分に上昇させてから、最後には本格的な「哲学的問答法」によってこそ、いわゆる「善のイデア」を観て取ることができ得るというものであるが、それは、今日で言えば、幼稚園、小学校、中・高時代、そして、大学や大学院、その他という、それぞれの「学校教育」を中心とした様々な教育を受ける過程において、手足や首の「縛(いまし)め」なども次第に解かれて来るということであり、そして、「大学・社会人時代」になれば、様々な書物を深く読んだり、文学や芸術などに深くたずさわったり、また、大学やその他で専門的な「知識や技術」などを学んだり、あるいは大学院やその他の分野で何らかの研究などを真剣に行なうようになることによって、その人は、人間や様々な物事の「本質、真実、真理、源泉、その他」などをどこまでも深く厳密に探究するような、そういう本格的な「思考(思索)活動」を何年も積み重ねていくうちに、やがてその手足や首の「縛(いまし)め」も、自分の力で解くにしろ(或いは他人の力を借りて解かれるにしろ)、完全に解かれることになるわけである。それをプラトン風に言えば、遙か彼方にある「叡知界」(つまり「イデア界」)の方へと想いを寄せて、最究極的には「美のイデア」や「善のイデア」などを観て取る地点にまで到達しようとする、そのようなもの凄い「知識欲」(つまり「真善美欲」)に襲われることになるが、それこそは、まさにプラトンの「神的な恋(エロス)」というものであり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
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2016/08/11

子供の遊び(完全版)

 さて、今回の「子供の遊び」(完全版)というのは、まさに「子供の遊び」の「第一部、第二部、第三部、そして、第四部」を一つに「集大成」したものであり、そして、「子供の遊び」というのは、すでに「乳幼児」の頃から活発に行なわれているとともに、「学童期」になれば、さらに実に多種多彩な「子供の遊び」でより活発に楽しく遊び合うまさに「全盛期」になるかと思うが、それでは、その実に多彩な「子供の遊び」などをあれこれ書き描くことに、一体、どんな「意味や価値」があるのかと問えば、それは、実に多彩な「子供の遊び」のそれぞれの「特徴」などをあれこれとらえて書き描くことは、結局は、それぞれ一つ一つの「遊び」の「本質や生命(いのち)」などにふれるということであり、今回は、その実に多種多彩な「子供の遊び」の「本質や生命(いのち)」などにふれる実に長い旅であり、もし「興味や関心」がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
2016/08/06

子供の遊び 2

 さて、今回の「子供の遊び2」(第二部)というのは、昔の子供たちにとっては実に懐かしい遊びの数々であり、例えば、めんこ遊びを初めとして、ビー玉遊び、ベーゴマ遊び、独楽廻し、また、凧揚げ、竹馬遊び、石けり遊び、おはじき遊び、ゴムとび遊び、そして、かごめかごめ、竹がえし、Sけん遊び、駄菓子屋、さらに、おもちゃ遊びというように、いわば昔から日本で受け継がれて来たいろいろな「伝承遊び」であって、子供の頃には、学校の友だちや近所の子供たちともう夢中になって遊び合ったという経験や想い出を持つ人の数は、恐らく、実に膨大な数にのぼるのではないでしょうか。
 もちろん、その「時代や地域」などによって、その「遊び方」(ルール)などには、実に様々な「違い」があるかと思うが、そういうことはあまり気にせずに、とにかく、それぞれの年代の人たちがそれぞれに子供であった頃を想い出しては、「……そう言えば、そういうこともあったなあ」と、日々の生活の忙しさにまみれて、すっかり忘れ果てていた、その当時の自分の「子供の心」などがふと甦(よみがえ)ってきて、自分でもびっくりしたり、非常に懐かしく感じられるというように、いろいろなことを想い出す一つの「切っ掛け」になってもらえれば、それで十分なことではないかと思う次第であります。