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2018/12/06

最近のツイッター

 今、貴ノ岩の暴行が問題になっている。例えば、子供の頃、親から殴られた経験を持つ子供は、自分が親になった時に、自分の子供を殴る傾向になり易いと一般に言われている。それは、いわば「負の遺産」を受け継いでしまったのであり、過去に「このような状況で殴られた」という「過去の記憶」が、今度は、自分が「優位の立場」(「逆の立場」)となり、同じような状況になった時に、過去に「このような状況で殴られた」という「過去の記憶」(体験・経験)がふと思い出されてきて、「このような時には相手を殴っても仕方がないのだ」という、そういう、いわば「負の遺産」(それは「そうすることがいかにも正当であり当然のことのように思い込んでしまう」負の遺産)を受け継いでしまうのである。
 それは、一体、どういうことなのかと問えば、それは、まさに「する側の論理」と「される側の論理」の違いから生じるものであり、まず、「する側の論理」というのは、相手が何かミスをする。言うことを聞かない、結果が出せない、その他、何であれ、それに対して、あれこれ言うだけでは収まらず、手も足も出てしまう。(そうするのはむしろ相手のためであり仕方なくそうするのだという自分を正当化した「間違った考え方」に基づいているのである)。一方、「される側の論理」としては、何らかのミスをする、言うことを聞かない、結果が出せなかったことに対しては、ある程度「叱られても」仕方ないとしても、それが「度を超して」、つまり、その「言い方」や「付随した行為」が余りに過激になればなるほど、当然のことながら、それは、まさに「パワハラ」「セクハラ」「差別」「虐待」「人権じゅうりん」その他になって行くのである。それゆえ、大事なのは、その「言い方」や「付随した行為」が過激にならないように普段から心がけるべきことではあるが、それは、結局、その人の「人間性」が真に問われているということである。
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2018/12/03

最近のツイッター

 例えば、ロシアのプーチン氏は、今年9月12日の東方経済フォーラムの席で突然、「……年末までに平和条約を締結しよう」と提案した。「……われわれは70年にわたって交渉してきたが、思うような結果は得られていない。そこで私の考えは、日露の平和条約を今ではないが、今年が終わる前に、前提条件を付けずに締結しよう」というものであり、この提案について、「……いま思いついたことだが、ジョークではない」と語ったとある。これは、一体、どういうことを意味するのだろうか? それは、次のようなことである。
 まず、ロシアのプーチン氏の「頭の中」にあったのは、やはり「中国の驚異的な経済発展」であり、あの「文化大革命」直後の「ドン底の経済状況」から、なぜここまで発展して来たのかと考えた時に、むろん、経済上の資本主義を取り入れたという「大転換」があったからではあるが、それだけではなく、もう一つの「原点」はどこにあったかと問えば、それは、日中間にあった実に「様々な問題は棚上げ」にしてまでも、とにかく、日中「国交正常化」を最優先で締結して、そして、日本からの可能な限りの「経済援助と技術援助」その他などを受けることによって、(もちろん、それ以外の実に様々な要因はあっただろうが)、わずか46年前後で今日のようなアメリカに次ぐ「経済大国」にのし上がったのである。
 このことが、恐らく、ロシアのプチーン氏の「頭の中」にもあって、日露間にある実に「様々な問題は棚上げ」にして、とにかく、日露「平和条約」を最優先で締結して、そして、日本からの可能な限りの「経済援助と技術援助」その他などを受けて、中国と同じように「経済発展」を遂げたいということであり、そのためならば、北方4島のうちの「2島」ぐらいは、日本に返還してもよいとさえ考えているのである。それは、一体、なぜなのか? それは、ロシアにとって「北方4島」を所有していても、領海や漁業上の利益以外は、ほとんど何もなく、それではロシアの飛躍的な「経済の発展」というものは、半永久的に望めないからである。それよりは、中国のように飛躍的な「経済発展」を遂げるほうが、はるかに「国益」に叶うからである。つまり、ロシアのプーチン大統領は、「北方4島」にあくまでも固執するよりは、むしろ中国のように「経済発展」を遂げるほうがよいと、その「舵」を大きく日本に向けて「切った」ということである。
2018/11/27

「罪と罰」(ドストエフスキー原作)新バージョン

 さて、『罪と罰』という作品は、世界的にも非常に有名な「作品」であり、それゆえ、世界中の多くの人たちがぜひとも一度は読んでおきたいと思って読み始めるかと思うが、しかし、多くの場合、途中で挫折をして、なかなか最後まで読み通せる人は、意外と少ないのではないかと思う。それゆえ、『罪と罰』という作品は、一体、どのような内容の作品なのか? その具体的な内容をよく知らない人たちも意外と多いのではないかと思う。
 それでは、ドストエフスキーの『罪と罰』という作品を読み始めた人たちが、なぜどうして途中で「挫折」してしまうのかと敢えて問えば、その理由の一つとしては、この『罪と罰』という作品の「冒頭」部分をただ読んだだけでは、多くの場合、その「内容」がよく理解出来ないままで終わってしまい、そのために、途中で「挫折」してしまう人たちも非常に多いのではないかと思う。それゆえ、今回の「新バージョン」では、特に「冒頭」から「酒場の場面」の終了までを「事細かに記述」してあり、ここまで丁寧に読み進むことができ得れば、あとは、一気に『罪と罰』という作品の「内容」もはっきりと見えてきて、その後の「読書」もスムーズに進めることができ得るのではないかと思う次第であり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
2018/11/25

最近のツイッター

 例えば、日産のゴーン氏が会長を解任させられる。それは、それでよいが、しかし、それで「日産の業績」が上がるわけではない。「日産の業績」を上げるためには、真に優れた「リーダー(指導者)」がトップに立って最善の指揮を執るのでなければ、結局、日産の業績は、衰退するばかりになってしまう。
2018/11/17

シェイクスピアの世界(ハムレットⅢ)中巻(第三幕)

 この作品を更新しましたので、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。――さて、今回は、『ハムレットⅢ』の「第三幕」になるが、その内容は、――まず、国王は、ハムレットの親友「二人」にハムレットの「狂気の原因」を探(さぐ)らせていたが、どうしても聞き出せなかったという結果になり、その後、今度は、国王と内大臣(ポローニアス)とが壁掛け(カーテン)の陰(かげ)に隠れて、ハムレットとオフィーリアとが「出会う」様子をこっそりと観察するという、余りにも有名な「場面」になるが、オフィーリアは、ハムレットの(狂気を装った)あまりの言葉に大きな衝撃を受けて、泣き崩れてしまう。
 次の第二場では、いわゆる「劇中劇」が演じられるが、その「劇中劇」の最後のところで、ハムレットが書き加えた「先王殺し」を模した内容の芝居を観ていた、国王は、青ざめて、よろめき立ち上がる。それによって、先王の「亡霊」の言葉は、噓ではなかったと確信を得る。――第三場では、身の危険を感じた国王は、ハムレットを即座にイギリスに派遣することを決め、また、国王は、自分の「兄殺し」という「罪の重さ」に耐え兼ねて、懺悔(ざんげ)をし、(神の)赦(ゆる)しを得ようとする。その姿を見て、ハムレットは、今こそ、復讐の「絶好のチャンス」と思うが、悪党が望むような時に「天国」へと送り込んで、それが果たして「復讐」と言えるかと思い直して、そのまま「王妃の居間」へと向かうのである。
 最後の第四場は、まさに「王妃の居間」であり、王妃(母親)とハムレットとの「二人だけの会話」になるが、この場面で、カーテンの陰(かげ)に隠れていた内大臣(ポローニアス)は、国王と間違えられて、ハムレットに殺されてしまう。――その後、ハムレットは、これでもかこれでもかと王妃(母親)を執拗に責め立てるという内容であり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。