2017/04/20

夏目漱石の世界 草枕

 さて、今回は、夏目漱石の代表作である『草枕』という作品の考察であるが、まず、『草枕』では、山途(やまみち)を登りながら考えた様々な「文学論」や「芸術観」などを想いつくままに語るという内容であり、その部分が「冒頭から全般」へと及び、そして、もう一つは、旅先の那古井(なこい)の温泉宿で偶然に出逢った「那美(なみ)さん」(その元「お嬢さん」)との様々な「出来事」や、また、「能」や「お茶」、その他などに関する様々な考察であり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
スポンサーサイト
2017/04/18

様々な「作品の表紙」と「関連の図形」の一覧表

 この「作品」を更新しましたので、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。――さて、今回は、今まで発表した「作品の表紙」とそれに「関連した図形」などを集めて、いわば「一つの作品」にしたものであり、いろいろな「作品の表紙」や「関連した図形」などを見たり読んだりするだけでも十分に楽しめるかと思いますが、また、本文の理解にもそれなりに役立つものになっていますので、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
2017/04/12

中島敦の世界 山月記と名人伝

 この「作品」を更新しましたので、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。――さて、今回は、中島敦の世界(山月記と名人伝)であるが、まず、中島敦の「山月記」という作品は、中国の「人虎伝」(じんこでん)という説話を元として書かれたものであり、今日では、学校の教科書にも載るようになり、多くの人たちがよくご存じだろうと思うが、それは、まさに「人間が虎に変身してしまった」というものであり、その「内容」をできるだけ「本文」に添いながら丁寧に考察したものであり、そして、もう一つは、中島敦の「名人伝」という有名な作品についての考察であり、目の訓練は、宮本武蔵の『五輪書』の中にある「目付」とも共通するところがあり、宮本武蔵の「修行」とも重ね合わせた考察であり、そして、最後に、その道の「極み」とは、一体、どのようなものになるのかという考察(内容)であり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
2017/04/10

オスカー・ワイルドの世界 サロメ

 この「作品」を更新しましたので、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。――さて、今回の、オスカー・ワイルドの『サロメ』という作品は、非常に有名な作品であり、それゆえ、映画や舞台その他などで見聞きするようなことも多いかと思うが、しかし、文章で「一字一句」を丁寧に読み辿るというようなことは意外と少ないのではないかと思う。そこで、今回は、できるだけ「本文」に寄り添いながら、その「内容」を丁寧に読み辿ったものであり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
 例えば、『新約聖書』の中にある「ヘロデとヨハネ」の「記述内容」によると、王ヘロデという人は、異母兄弟の兄の「妻」(ヘロデヤ)をめとったが、そのことで、ヨハネがヘロデに、「……兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったので、ヨハネを捕えて牢につないだことがあった。……そのため、王妃ヘロデヤは、ヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、出来ないでいた。それは、王ヘロデがヨハネを正しい聖なる人であると知って、彼を恐れ、また、保護を加えていたからである。――さて、王ヘロデの誕生祝いがあった時、王妃ヘロデヤの娘(サロメ)が満座の中で舞を舞い、王ヘロデを喜ばせた。そのため王ヘロデは、娘に「……願うものは何でもやろう」と誓った。娘は、母の入れ知恵で、「……洗礼者ヨハネの首を盆にのせて、今ここに頂きとうございます」と言った。王は非常に困ったが、それを与えるように命じ、人をやって牢でヨハネの首をはねさせた」という内容である。この『新約聖書』の中にある「ヘロデとヨハネ」の「記述内容」を参考にして、オスカー・ワイルドという劇作家は、彼独自の戯曲『サロメ』へと、その「内容」を大きく創り換えたものであり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。
2017/04/07

なぜ、刃傷事件は起きたのか 精神の自立について 徒然草の最終段

 この「作品」を更新しましたので、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。――まず、「なぜ、刃傷事件は起きたのか」という作品では、どのような「状況」から「事件」は発生したのか? それを「原文」(特に「梶川氏日記」)に寄り添いながら丁寧に考察したものであり、また、「精神の自立について」では、なぜ、戦後、このような「社会状況」になってしまったのか? それを「終戦」まで遡って考察し、また、精神が自立するとは、一体、どういうことなのかの考察であり、そして、徒然草の「最終段」では、なぜ、徒然草の「最終段」は、「八歳の時の想い出話」になっているのか? それを考察したものであり、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てください。