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2019/02/02

酒の上での話

 例えば、昔から、酒を飲んでかなり酔った上でのことだから、今回のことは「大目に見てほしい」という言い訳がある。確かに、酒に酔うことによって、その人の「知性や理性」などの働きが弱まることは事実であるが、しかし、大事な要点は、そこにあるのではなく、大事なのは、次のようなことである。
 つまり、あるがままの「生身の人間」というのは、自分でも自分がいつ何を言い出すか、また、何をしでかすかまったく分からないものである。このことは、徹底的に考えてみる必要があり、われわれは、どうしてもあの人は、ああいう人、自分はこういう人間と考えやすいものであるが、しかし、そういう固定化した存在では決してなく、むしろいつ何を言い出すか、また、何をしでかすかまったく分からない、そういうまさにどろどろとした得体の知れない存在なのである。
 例えば、社会的な地位もあり、また、思慮分別もあると思われていた人が、何か飛んでもないことをすると、われわれは、一応に驚いたりするが、しかし、その人がどういう職業に就いているからとか、ふだんは、こういう人だからということで、その人間を推し測ることはできないのである。というのも、われわれ生身の人間の「心の中」で蠢いている実に様々な生々しい「欲望や感情」その他などが、そのまま外に現われるのではなく、それらは、その人の「知性や理性」などで自然とコントロールされた形で、外に現われて来るものだからである。
 それゆえ、外に現われ出た「言動」だけを見て、あの人は、ああいう人と断定するわけにもいかないのである。――つまり、われわれ生身の人間の「心の中」には実に様々な生々しい「欲望や感情」その他などが、絶えず現われたり、消えたりしている状態であるが、しかし、それらは、その人の「知性や理性」などで自然とコントロールされている状態であり、それゆえ、もしその人の「知性や理性」などのコントロールが弱まった時には、(例えば、酒などをかなり飲んで、その人の「知性や理性」などのコントロールが弱まった時には)、実に様々な生々しい「欲望や感情」その他などが、そのまま外に現われやすくなるということである。しかも、それは、ふだんはその人の「心の奥」に押し込められていた「本音」(本心)であることが多く、それゆえ、決して酒の上での「たわごと」(全く根拠のない言動)などではないのである。
 つまり、もともとそういうことを言ったり、やったりする性質(性格)を潜在的に持っているからこそ、酒などを飲んで、その人の「知性や理性」などのコントロールが弱まった時には、そういうことを言ったり、やったりするという「言動」が、そのまま外に現われやすくなるということであり、それゆえ、これからは気を付けます、といくら平謝りに謝ったとしても、結局は、同じようなことをくり返すことになるのである。
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2019/01/31

韓国の「反日感情」について

 例えば、韓国がなぜ今「反日感情」を高めているのか? この「謎」を解く鍵は、まず、韓国の最大の「脅威」は、今まで「北朝鮮」であった。その「北朝鮮」に対抗する為には、米国の軍事力も日本の様々な協力も必要不可欠であった。それゆえ、国家安全のために、米国とも日本ともどうしても友好を保つ必要があったのである。――ところが、去年から、韓国は、北朝鮮との「宥和政策」により、二国間での「友好関係」が一気に高まるにつれて、韓国の最大の「脅威」であった「北朝鮮」は、今や「敵対国」ではなく、むしろ「友好国」となり、国家の最大の「脅威」(危機感)がすっぽり取り除かれたような気分になっているのである。
 そうなると、つまり、最大の「悩み」が解消されると、その最大の「悩み」の為に、奥深くに眠っていた第二、第三の「悩み」が一気に表面化してきて、例えば、北朝鮮の最大の「脅威」がなくなれば、なにも米国との「共同軍事演習」などする必要もなければ、いっそ韓国から出て行ってもらいたいと思うようになるのである。また、日本に対しても、そう言えば、戦時中に何かひどい目にあったことを思い出しては、例えば、慰安婦問題をはじめ、強制労働させられた徴用問題、また、竹島をめぐる領土問題、その他、次から次へと芋づる式に色々なことが思い出されてきて、その「反日感情」を一気に高めてしまい、今や韓国の「敵国」は、まるで「日本」であるかのような錯覚に陥っているのである。
 そして、韓国は、今や日本よりもむしろ中国や北朝鮮との友好関係を深めようとしているが、ただ、韓国(或いは全世界)が何よりも恐れなければならないことは、北朝鮮が「経済力」を持った時であり、何十年後に、北朝鮮が韓国と同じような「経済力」を持ったその時には、北朝鮮が「韓国」を呑み込んで、いわゆる「朝鮮統一」(民族統一)を図る可能性も、全く無いとは言えないのである。
2019/01/15

シェイクスピアの世界(ハムレットⅢ)第四幕

 さて、今回は、ハムレットⅢの「第四幕」であり、第一場は、王妃は、国王にハムレットがカーテンの陰にいたポローニアスを刺し殺し、その死体を引きずって出て行ったと話す。国王は、このままでは危険だと思い、ハムレットの「親友二人」に、すぐにハムレットとその死体を探し出すように命ずる。――第二場は、その二人は、見つけたハムレットに死体のあり場所を聞くが、素直に答えない。そこで身柄を拘束し、次の第三場では、国王は、大臣らと話をしている。そこに二人が戻ると、国王は、ここに連れて参れと言い、国王は、その方の身の安全のために、急遽イギリスへ派遣することになった。すぐに船で旅立ってくれと言う。――次の第四場は、港に近い平野で、ノルウェーのフォーティンブラスの大軍が、ポーランドのちっぽけな土地を取りに行くという、その話を隊長から聞いたハムレットは、一片のわら屑にも命を賭けて戦わなければならぬのだと、復讐を固く決心する。
 さて、第五場は、狂乱のていのオフィーリアは、王妃や国王にわけの分からぬことをしゃべって、部屋から出て行く。その後、暴徒を率いたレアティーズが部屋へ飛び込んで来て、父はどこだと叫ぶと、国王は、死んだと言い、お前の父親の死とは無関係だと言う。そこにオフィーリアが、再び、登場し、それを見たレアティーズは、何という姿だと深く悲しみ、敵(かたき)は必ず討つと誓う。――第六場は、ハムレットの親友(ホレーシオ)は、船乗りたちの訪問を受けて、ハムレットからの手紙を受け取り、それを読む。そして、第七場は、国王とレアティーズが話をしている。そこに使者がハムレットの手紙を持参する。国王は、不思議に思うが、わしにはすでに一つの「計略」があり、それは、賭け遊びの中で、二人に剣の試合をさせ、その時に、剣の先に毒を塗り、ハムレットの杯にも毒を盛るという話をしている。そこに王妃が泣きながら登場し、レアティーズ、あなたの妹さんは溺れて死にましたと告げるのであった。
2019/01/01

新年のあいさつ

 2019年(平成31年)1月1日

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

 さて、本年の最初は、シェイクスピアの世界(ハムレットⅢ)第四幕を予定していましたが、なかなか想うように前に進まず、もう少し時間がかかるかと思いますが、とにかく、今年は、『ハムレットⅢ』を完成させてから、次に何か「新しい作品」(作品名は未定)へと進みたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。また、昨年は、今までの作品の「更新」(見直し)に多くの時間を費やしましたが、今年は、できるだけ「新しい作品」の発表ができるようにしたいと思っていますので、興味や関心がありましたら、本年も、ぜひとも訪ねて見てくださるよう、よろしくお願いいたします。

 さらに、今年は、国内外で起こる実に様々な「話題や出来事」などについてもあれこれ自分の感想などをツイートしてみたいと思っておりますので、ツイッターの方も、興味や関心がありましたら、ぜひとも訪ねて見てくださるよう、よろしくお願いいたします。
2018/12/19

「北方4島」の問題 その2

 この「北方4島」の問題は、例えば、ロシアがあくまでも「北方4島」に固執し続け、一方、日本もあくまでも「北方4島」に固執し続ける限り、この「問題」は、半永久的に解決しない。それでは、この問題の「解決への道」は、半永々に閉ざされているのだろうか? もちろん、そういうことには決してならない。この「問題」を解決するためには、どうしてもお互いの「歩み寄り」(或いは「妥協し合う」)ことがどうしても必要不可欠になって来るのである。――例えば、有名な「大岡裁き」の中でも、特に有名なものの一つに、まさにお互いが「一分損」(いちぶぞん)という「考え方」がある。
 この「考え方」は、極めて有効な「考え方」であり、それは、次のようなことである。例えば、売り手は、この商品は、絶対に「一万円」でしか売らないと「主張」(言い張って)いる。一方、買い手は、その商品は、絶対に「五千円」でしか買わないと「主張」(言い張って)いる。この状態では、永遠に「問題」は解決しない。つまり、「和解」(この場合「商談成立」)のためには、お互いが「歩み寄る」(つまり「妥協し合わ」)なければ、成り立たない。そこで、売り手の方が折れて、それなら、「八千円」でどうだと提案したとする。それに対して、いや、「七千円」までだと返答したとする。もちろん、この状態では、完全な「和解」(この場合「商談成立」)にはなってはいない。しかし、お互いが「歩み寄っている状態」(つまり「妥協し合っている状態」)であることに間違いはない。それゆえ、「完全な状態」ではないが、しかし、ここが、まさに「落とし所」の一つとなり得るのである。
 もちろん、売り手の方が、「七千五百円」まで下げてくれれば、買い手も、それにすぐに「同調」することになるだろう。この場合であれば、最初の値段に比べれば、お互いが「二千五百円」の「損」になる。――つまり、「和解」(つまり「歩み寄る」「妥協し合う」)というのは、お互いの最初の「主張」に比べれば、お互いが確実に「損をし合う」ということである。その「損」をお互いどこまで認め合えるかが、まさに「妥協点」であり、まさに「決着点」でもある。お互いの「主張」が百%通るなどということは、永遠にあり得ないのである。それゆえ、最大の「問題」は、どこまでお互いが「歩み寄れるか?」ということである。
 一方、北朝鮮のように「拉致問題」は、すでに「解決済み」という「考え方」や、ロシアの場合、「北方4島」は、すでに「われわれの領土」と言い張り続ける限り、この「問題の解決」は、半永久的にあり得ないのである。